まっさらの春

「春はさむいよぉ」

沙羅が言うと

「うん、さむいね」

阿部さんは答えた。

沙羅のうちは、京都の小さなお茶の家元で、阿部さんは住み込みの見習いさんだ。

「でもみんな、あったこうなったって言う」

阿部さんは笑って、

「それは冬を通り越したから。暑い夏が過ぎると、秋は涼しいって言うでしょう」

「そやね」

「さらちゃんは、季節をまっさらに受け止めてるのかな」

「・・・オヤジギャグやね」

阿部さんは笑い、沙羅も笑った。

その翌日、阿部さんはお茶の修行をやめて、東北の田舎へ帰っていった。

おうちに戻って、故郷で働くという。

北はもっとさむいにちがいない。まっさらにさむいかも。

でも、春が来たら、まっさらにあったかいかもしれない。

そう沙羅は思った。

あらたま

f:id:tamaki-88:20210123224028j:plain

あらたま

f:id:tamaki-88:20210123224146j:plain

先週のお稽古のお菓子。「あらたま」という銘がついてました。

「年」にかかる枕詞で、必ずしも新年を意味しないようですが、なんとなく一月っぽいですね。あらたまる、を連想しますし。

「あらたま・・・」で始まる家持の歌。

  あらたまの年生き返り春立たばまづ我が宿に鶯は鳴け

これを、多分本歌取りした素性法師の歌。

  あらたまの年立ち返るあしたより待たるるものは鶯の声

本歌、ってお茶道具でもよく聞くけど、もともとはこの、和歌の技法の「本歌取り」からきてるらしいです。

本歌、はもともとの形、本家本元、それに対してうつし、がありますけど、ニセモノ、という意味ではないんですね。模倣、というのとも少し違うのかな。

すぐれたものを忠実に模して次の時代に伝えていく場合。

スペアである場合。

どっちもありだと思います。

スペアとして、限定何個、として作られた場合ならいいいんですが、上手なうつしが、いつの間にか本物の顔をしてしまう場合、ってあるんだと思います。

大化け、なんて言われます。

なんとか探偵団で、化けの皮が剥がれたりする。

3Ⅾスキャンが簡単に出来る現代ですが、お茶道具はまだそういうわけにはいかないようで、やはりほんものは、熟練の伝統芸の中からしか、生まれないのかもしれません。

でも、伝統の世界にも新しい風は吹いてほしい。

あらたまの年の初めに、そんなことを期待しつつ・・・。

 

 

三友でなくて・・・

コロナ騒動で、お稽古場もプチ自粛。三友之式は、花と香と茶のみっつを友としますが、このうち、お茶碗を共有する菓子付き花月をカット。二友之式?

f:id:tamaki-88:20200405134438j:plain

f:id:tamaki-88:20200405134502j:plain

思い思いに活けたお花。花寄せです。沈香の香りが、席中を清める働きがあるということで・・・。効果あるといいね。