まっさらの春
「春はさむいよぉ」
沙羅が言うと
「うん、さむいね」
阿部さんは答えた。
沙羅のうちは、京都の小さなお茶の家元で、阿部さんは住み込みの見習いさんだ。
「でもみんな、あったこうなったって言う」
阿部さんは笑って、
「それは冬を通り越したから。暑い夏が過ぎると、秋は涼しいって言うでしょう」
「そやね」
「さらちゃんは、季節をまっさらに受け止めてるのかな」
「・・・オヤジギャグやね」
阿部さんは笑い、沙羅も笑った。
その翌日、阿部さんはお茶の修行をやめて、東北の田舎へ帰っていった。
おうちに戻って、故郷で働くという。
北はもっとさむいにちがいない。まっさらにさむいかも。
でも、春が来たら、まっさらにあったかいかもしれない。
そう沙羅は思った。
あらたま
先週のお稽古のお菓子。「あらたま」という銘がついてました。
「年」にかかる枕詞で、必ずしも新年を意味しないようですが、なんとなく一月っぽいですね。あらたまる、を連想しますし。
「あらたま・・・」で始まる家持の歌。
あらたまの年生き返り春立たばまづ我が宿に鶯は鳴け
あらたまの年立ち返るあしたより待たるるものは鶯の声
本歌、ってお茶道具でもよく聞くけど、もともとはこの、和歌の技法の「本歌取り」からきてるらしいです。
本歌、はもともとの形、本家本元、それに対してうつし、がありますけど、ニセモノ、という意味ではないんですね。模倣、というのとも少し違うのかな。
すぐれたものを忠実に模して次の時代に伝えていく場合。
スペアである場合。
どっちもありだと思います。
スペアとして、限定何個、として作られた場合ならいいいんですが、上手なうつしが、いつの間にか本物の顔をしてしまう場合、ってあるんだと思います。
大化け、なんて言われます。
なんとか探偵団で、化けの皮が剥がれたりする。
3Ⅾスキャンが簡単に出来る現代ですが、お茶道具はまだそういうわけにはいかないようで、やはりほんものは、熟練の伝統芸の中からしか、生まれないのかもしれません。
でも、伝統の世界にも新しい風は吹いてほしい。
あらたまの年の初めに、そんなことを期待しつつ・・・。
初夏
八重桜は少し前です。みるみるうちに藤が満開。季節が移ろうように、コロナもいいですね。すみやかに行ってくれたらいいですね。